大町温泉郷
大町温泉郷は、JR信濃大町駅から車で10分少々のところにあります。
この温泉郷は、昭和時代に開湯してから約60年弱と比較的新しい温泉です。
元々ここに温泉郷が計画されたのは、昭和3年とのことです。それは、大町市の奥地に葛温泉というところがありますが、そこからお湯を引いてくるという計画でした。葛温泉は、今でも秘湯として認知されていますが、当時はそこまでたどり着くのはさぞたいへんなことだったと想像できます。もっと利用しやすい平地に温泉施設を造ろうとしたのは、当然の発想だったと思います。
しかしながら、大町温泉郷の計画はなかなか進みませんでした。
その後昭和30年代になって、大町市が関西電力の黒部川第四発電所工事の資材の輸送基地となり、道路が整備されたのをきっかけとして、大町温泉郷の計画も進み、昭和39年に大町温泉郷に最初のホテルができました。
立山黒部アルペンルートの長野県側の玄関口として、ここは計画的に造成された温泉地のため、施設ごとの敷地も広く取られています。
エリア全体では、約40ヘクタール(40,000平方メートル)の広さがあります。
ところで、大町温泉郷が実現するきっかけとなった工事の黒部川第四発電所は、通称クロヨンダムと呼ばれ、特筆すべきは大町市の扇沢からの2,600メートルほどの区間は熊谷組が担当し、それが日本土木史上に残るほど有名な難工事となったことです。
トンネルを掘り進めると、大量の土砂と地下水で、掘削工事は中断を余儀なくされ、クロヨンダムの完成を危ぶむ声さえ聞かれるようになったそうです。
そんな中で、最後まで諦めずにトンネル工事を完成させることができたのは、知恵と努力の賜物と言えると思います。
この困難を乗り越えた人々の物語は、「黒部の太陽」としてノンフィクション小説になりました。
さらにその小説は、当時の二大スターの三船敏郎と石原裕次郎により、同タイトルとして映画化がされたことでも有名です。
その難工事でできたルートを通って、大町市の扇沢からクロヨンダムまで、トロリーバスという電動バスで行くことができ、今では有名な観光施設にもなっています。
大町温泉郷は、ある意味で昭和の歴史を象徴するような施設だと思います。