温泉・スパ[健康ランド]情報
歴史ある温泉「高僧開湯伝説」
古湯と呼ばれる歴史ある温泉には、高僧による開湯伝説が語り継がれているところも少なくありません。行基や弘法大師(空海)をはじめ、別府温泉の鉄輪温泉(大分県)を開いたとされる一遍上人、雄琴温泉(滋賀県)を開いたとされる最澄、夏油温泉(岩手県)などを開いたとされる慈覚大師(円仁)などなど。
これら高僧の中でも、最も多く開湯伝説に登場するのは、奈良時代の行基と平安初期の弘法大師(空海)。どちらも修行や布教、社会事業のために諸国をまわり、広く人々に慕われていました。
行基

行基は、奈良時代に諸国をまわって布教に努めるとともに、各地にため池や道路、橋などをつくって人々のために力を尽くした僧です。東大寺の大仏造営の際には、多くの資材と労働力を必要としたことから、人々への絶大な影響力のある行基は聖武天皇からの求めに応じてこれに協力。大僧正という僧としての最高の位を与えられました。
そのような行基の開湯伝説は、全国各地に残っています。
山中温泉(石川県)と行基

行基が加賀行脚の際、山の向こうに美しい紫雲がたなびいているのを見つけて、その場所に近づいて行ったところ、湯の精霊と思われる老僧に出会い、その老僧から病を治す霊泉の湧き出る場所を教わったという伝説があります。行基は、その場所に湯つぼをつくって「紫雲の湯」と名付け、薬師像を湯屋に安置。それ以来、山中には多くの人々が病気を治しに訪れたとされています。
弘法大師(空海)

弘法大師は、遣唐使とともに唐に渡り、帰国後、真言宗を開いた僧です。唐に留学していた際、当時、世界的文化都市であった長安で、仏教の他にも書道や詩文、建築・土木などの技術、医薬知識などを広く学んだとされています。帰国後は、その知識を活かして、ため池や港湾といった土木事業の技術指導に尽力し、人々の救済にあたりました。
そのような空海の開湯伝説も、東日本を中心にして多く見られます。
修善寺温泉(静岡県)と弘法大師

修善寺を訪れた弘法大師が、桂川の清流で病気の父のからだを洗う少年を見つけ、「川の水では冷たかろう」と手にした独鈷(煩悩を打ち砕くといわれる仏具)で川中の岩を砕いたところ、霊泉が湧き出たと伝えられています。その場所は「独鈷の湯」と呼ばれるようになり、修善寺温泉のシンボルになっています。