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文化人がこよなく愛した名湯 指宿温泉×島尾敏雄

精神を患った妻との壮絶な夫婦生活をつづった『死の棘』で数々の文学賞を受賞した小説家、島尾敏雄。波乱万丈の人生の中、島尾敏雄は晩年、指宿市へ住居を構えました。わずか2年5ヵ月程ではありましたが、島尾敏雄が指宿へと導かれた足跡をたどります。

鹿児島で出会った最愛の妻との壮絶な夫婦生活

横浜市に生まれた島尾敏雄は、九州帝国大学を卒業後、志願して海軍に入隊。

第18震洋隊の隊長として奄美諸島の加計呂麻島に赴任し、呑之浦で特攻の出撃を待っていました。

そのときに出会ったのがのちに妻となる大平ミホです。次第に惹かれ合い、恋に落ちた2人。その後、出撃命令が出たものの、決行前に終戦を迎えたことで、島尾敏雄はミホのもとへ、生きて帰ることができたのです。

このときの戦争体験を島尾敏雄は、『出発は遂に訪れず』、『出孤島記』、『その夏の今は』など様々な作品として発表し、文壇でも高く評価されました。

終戦後、大平ミホと結婚した島尾敏雄。神戸や東京などで教員生活と執筆活動に勤しみますが、平穏な暮らしに異変が起きます。島尾敏雄の不倫がもとになり、妻のミホが神経に異常をきたしてしまうのです。

それから始まる夫婦の壮絶な闘病生活、葛藤をつづった日記から生まれたのが名作『死の棘』です。

そして、この後世に名を残すことになる島尾敏雄の代表作『死の棘』が、最後に執筆された地こそ、指宿だと言われています。

『死の棘』の最終執筆地とも言われる指宿

『追想 島尾敏雄(奄美・島尾敏雄研究会編)』には、次のような記述があります。

――二年五ヵ月におよぶ指宿時代を振り返ると、島尾文学にとって特記されることがある。あの名作『死の棘』の執筆がこの地で終わった。昭和三十五年四月に第一章「離脱」で始まったこの小説は、十六年後の昭和五十一年十月発表の第十二章「入院」で完結したのである。(前橋松造 著)――

妻の病気療養のため、奄美大島の名瀬市(現:奄美市)に移住した島尾敏雄は、鹿児島県立図書館奄美分館の初代館長を務めながら、執筆活動に励みます。

その後1975年(昭和50年)に夫妻は、温泉がある指宿市に移住。引越しを機に、島尾敏雄は鹿児島純心女子短期大学の図書館長に就任しました。奄美大島に暮らしていたころを含め、指宿にいた時代にも幾度となく、指宿温泉を訪れていたようです。

それを示すように、前出の『追想 島尾敏雄(奄美・島尾敏雄研究会編)』では、島尾敏雄が奄美大島から指宿市に居を移す直前の時期の、このようなエピソードがつづられています。

――県立図書館の久保田彦穂(椋鳩十)館長と予算交渉のため出て来たが、予定より早く終わったので、温泉でも入ろうと思い、ぶらりと指宿へ足が向いたという。(中略)山川港が眺望できる岬のホテルを選んだ。(前橋松造 著)――

天然砂むしで名高い指宿温泉

薩摩半島の東南端に位置する指宿温泉は、天然の砂むし温泉で知られる風光明媚な観光地です。

砂むし温泉は、300年も昔から湯治客の間では親しまれていたそうですが、近年になって特に、様々な効能が伝えられるようになり、ひと際注目度が高まりました。

指宿温泉は、錦江湾に面した海岸沿いに温泉が湧き、旅館や入浴施設が点在しています。泉質は主に塩化物泉。神経痛、筋肉痛、関節痛、冷え性、痔、慢性消化器病、慢性婦人病などに効能があると言われています。指宿の湯の恵みに、島尾敏雄や妻のミホも癒されていたことでしょう。

足をのばして訪れたい、島尾敏雄ゆかりの地

指宿で暮らす前には、奄美大島で20年程暮らしていた島尾敏雄。また、指宿市に転居したあとも、鹿児島市にある鹿児島純心女子短期大学に勤務していたこともあり、鹿児島県のいたるところに足跡を残しています。 指宿温泉と共に巡ってみれば、島尾敏雄の心の声が聞こえてくるかもしれません。

島尾敏雄文学碑

島尾敏雄文学碑

島尾敏雄が特攻隊長として任務にあたっていた加計呂麻島の呑之浦地区に建つ、島尾敏雄を讃える碑です。

かごしま近代文学館 かごしまメルヘン館

島尾敏雄文学碑

鹿児島市内にある「かごしま近代文学館 かごしまメルヘン館」。

ここには「鹿児島ゆかりの作家たち」というコーナーがあり、海音寺潮五郎、林芙美子、椋鳩十、梅崎春生と共に、島尾敏雄の人物像や創作に傾けた情熱、創作活動にまつわる品などが様々な形で展示されています。