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文化人がこよなく愛した名湯 小浜温泉×斎藤茂吉

近代の短歌史上において、大いなる功績を残した歌人、斎藤茂吉。長崎医学専門学校(現在の長崎大学医学部)の教授時代、療養のために訪れた雲仙の小浜温泉で詠んだ俳句は、雲仙の美しい情景を伝えてくれます。

斎藤茂吉が療養に訪れた、夕景の美しい海辺の温泉街

「ここに来て落日を見るを常とせり海の落日も忘れざるべし」。これは、長崎県雲仙市小浜にある夕日の広場入り口に建てられた、斎藤茂吉の歌碑です。

山形県の農家で三男として生まれた斎藤茂吉。近所の住職のすすめで上京し、医学を学んだ斎藤茂吉は、東京帝国大学医科を卒業後、同大学付属巣鴨病院で精神医学を専攻します。

そして1917年(大正6年)、35歳のときに長崎医学専門学校の教授に任じられました。家族を東京に残しての単身赴任だったこともあり、慣れない土地での暮らしに当初は寂しさをにじませていたとも伝えられていますが、新しい生活に慣れると、次第に長崎の町歩きを楽しむようになったようです。

しかし、1920年(大正9年)、体調を崩してしまった斎藤茂吉は療養のために、雲仙温泉、古湯温泉、嬉野温泉など長崎県から佐賀県にかけての温泉地を渡り歩きました。

その際に訪れたのが、雲仙温泉の山裾、橘湾に面した海辺の温泉郷、小浜温泉だったのです。橘湾に面した小浜温泉の各旅館の露天風呂や客室からは、斎藤茂吉が心を動かされた絶景の夕日を望むことができ、今なお多くの人に感動を与えています。

小浜温泉

小浜温泉

長崎県の島原半島、雲仙市の中心にあたる雲仙温泉から程近くにある小浜温泉。

その歴史は、713年(和銅6年)の『肥前風土記』にも記される程長い歴史があり、1900年代初めごろから、次第に湯治場として人々が訪れるようになったと伝えられています。

1923年(大正12年)から1938年(昭和13年)にかけて、鉄道の開通が相次いだのを機に、小浜温泉は観光客にも知られる存在となりました。時期を同じくして、雲仙温泉の中心街まで道路が整備されたことも、小浜温泉が栄えるきっかけとなったようです。

小浜温泉は、源泉が30ヵ所程あり、全国でも屈指の高い温度が特徴。かつては海辺の砂浜を掘ると湯が湧出したという説もある程湯量が豊富であり、現在でもその豊かな湯を求めて多くの人々が訪れています。

小浜温泉の泉質はナトリウム塩化物泉 弱アルカリ性。泉温は100度にも及びます。この高温の熱源を使った温泉たまごが、各旅館の軒先で作られており、温泉街風情を盛り上げてくれます。

斎藤茂吉の名句が生まれた伊勢屋旅館

療養中、2度にわたって小浜温泉を訪れたと言われる斎藤茂吉。その際に、宿泊したのが「伊勢屋旅館」です。

伊勢屋旅館の創業は330余年前。以来、斎藤茂吉をはじめ、多くの文人や著名人に愛されている旅館です。

客室の目の前には、橘湾に夕日が沈みゆく見事な夕景が広がり、斎藤茂吉も思わず句を詠んだ程の美しさを誇る絶景を、のんびりと満喫することができます。

また、「茂吉の湯」と名付けられた展望露天風呂をはじめ、小浜温泉の恵まれた湯をたたえた大浴場などは、日帰りの立ち寄り湯としても気軽に利用することができます。

合わせて訪れたい名湯、雲仙温泉

長崎を代表する温泉地、雲仙温泉。中でも随一の観光名所と言えば「雲仙地獄」です。

雲仙の古湯と新湯の間の白い土(温泉余土)に覆われた一帯には、硫黄の香りが立ち込め、地底から噴き出す蒸気や熱気に包まれると、地獄に迷い込んだような気分を味わうことができます。 

この雲仙地獄で楽しめる、温泉の湯を使って茹でられた温泉たまごや、大叫喚、お糸、清七など30あまりの地獄を巡る「雲仙地獄めぐり」は、観光客にとって欠かせない楽しみのひとつです。

療養のために長崎県から佐賀県にかけての温泉地を巡っていたという斎藤茂吉も、1920年(大正9年)、雲仙温泉を訪れたと伝えられていますので、この地獄めぐりや、名物の温泉たまごを楽しんだかもしれません。