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文化人がこよなく愛した名湯 城崎温泉×志賀直哉

「小説の神様」とも称される志賀直哉の作品の中でも、屈指の名作『城の崎にて』。電車にはねられてけがをした作者が、養生のために訪れた城崎温泉での自身の経験、思いをもとにつづった作品です。志賀直哉の目を通して見る、城崎(きのさき)温泉に触れてみましょう。

電車ではねられた志賀直哉が療養に訪れた城崎温泉

小説『城の崎にて』は、次のような書き出しから始まります。

『山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした、其後養生に、一人で但馬の城崎温泉に出掛けた。背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんな事はあるまいと医者に云はれた。二、三年で出なければ後は心配いらない、兎に角要心は肝心だからといはれて、それで来た。三週間以上――我慢出来たら五週間位居たいものだと考へて来た。』

志賀直哉は1913年(大正2年)、30歳のときに山手線の電車にはねられ、重傷を負ってしまいます。その後、けがの養生先として城崎温泉を訪れ、3週間程滞在したそうです。

志賀直哉は、逗留先の城崎について、「温泉はよく澄んで湯治によく、周囲の山々は緑で美しい。おいしい日本海の魚を毎日食膳に出し、客を楽しませてくれる。人の心は温かく、木造作りの建物とよく調和している」と評したとも伝えられています。

城崎温泉の湯、自然、食、人の温もり、情緒あふれる町並みなど、城崎温泉の魅力を肌で感じながら、『城の崎にて』を執筆したのでしょう。

レトロな風情に包まれた城崎温泉

山陰・但馬地方の山深い地で、古くから温泉地として栄えていた城崎。

コウノトリが傷を癒したと言われる鴻の湯、道智上人が難病の人たちを救うために千日もの間、難行を修めたあと、8ヵ所を選んで掘り下げたときに湯が沸き出たという伝説が残る、まんだらの湯の2つの温泉が起源とされています。

10世紀初め、『古今和歌集』には、すでに城崎温泉を詠んだ歌が収められているなど、1,300年に及ぶ歴史ある温泉街なのです。

温泉街には円山川の支流、大谿川(おおたにがわ)が流れ、湯けむりが上がる川沿いに、柳や桜の並木が続きます。

木造建築の風情あふれる旅館が軒を連ね、昔ながらの射的やパチンコを楽しめる遊技場がレトロな雰囲気を演出。浴衣を着てぶらり散策を楽しむだけで、日常を忘れ、タイムトリップしたかのような気分を味わうことができます。

もてなしの心に触れる、城崎温泉の外湯めぐり

城崎温泉の代名詞と言えば外湯めぐり。

温泉街には大谿川沿いに、さとの湯、一の湯、御所の湯、まんだらの湯、地蔵湯、鴻の湯、柳湯という7つの外湯が点在しており、それぞれに由来や言い伝えが残されています。


また、飲湯場や足湯などもあります。城崎温泉観光協会の公式ホームページには、「遥か昔から城崎の人々は宿を客間、道を廊下とし湯治に訪れた人々を町全体でもてなしました」と記されています。

城崎を訪れたら浴衣に着替えて町へ繰り出し、志賀直哉が訪れた当時と変わることなく、今もなお受け継がれている温泉街のもてなしを体感しましょう。

『城の崎にて』が誕生した宿「三木屋」

300年もの歴史を誇る老舗旅館「三木屋」。重傷を負った志賀直哉が逗留し、名作短編『城の崎にて』を執筆した宿として知られています。

日本の心が息づくこの旅館を象徴するのが、およそ300坪にも及ぶ日本庭園です。周囲にそびえる大師山を借景に、大谿川の流れを引き込んだ池を配した、池泉回遊式庭園。この庭園は志賀直哉の小説『暗夜行路』にも描かれています。

志賀直哉が『城の崎にて』を執筆した当時の建物は、1925年(大正14年)の大震災によって、倒壊してしまいました。その後、1927年(昭和2年)に旅館を再建。

三木屋のホームページによると、再建後も幾度となく志賀直哉は足を運び、宿泊をしたそうです。志賀直哉が気に入って利用していた26号室の客室は、現在も当時のまま残されており、問合せをすれば宿泊もできるとのこと。

志賀直哉の心を癒した雅な庭園を眺めながら、文豪気分を味わってみるのもおすすめです。