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文化人がこよなく愛した名湯 あわら温泉×水上勉

1919年(大正8年)、福井県大飯郡本郷村(現おおい町)に生まれた直木賞作家、水上勉。越前市や今庄など、故郷である福井県を舞台に描いた作品を、数多く残しています。

『越前竹人形』は、映画やテレビドラマ、舞台の題材としても広く親しまれ、水上文学のシンボル的作品として知られています。 水上勉の代表作のひとつである『越前竹人形』に描かれたあわら温泉で、作者の足跡をたどってみましょう。

明治時代に発見されたあわら温泉

福井県の北部に位置するあわら市。元々、低湿な沼地だった中心部で、かんがい用の水を求めて一人の農民が井戸を掘った際、80度程もある温泉が湧き出したのがあわら温泉の始まりとされています。

温泉が発見されたのが1883年(明治16年)で、翌年にはすでに、数軒の温泉宿が開業したそうです。

その後、1912年(明治45年)、旧国鉄の三国線が開通したのを機に、温泉街として賑わいを見せるようになります。

あわら温泉では、湯の共同管理を行なっていないため、各施設がそれぞれに温泉の井戸を持っているのも特徴です。

宿や入浴施設により、わずかに泉質が異なりますので、湯浴みをしながら湯の違いを楽しんでみてはいかがでしょう。

あわら温泉の湯

あわら温泉の湯は、主に中性から微アルカリ性の含塩化土類食塩泉ナトリウムで、カリウムが豊富です。

温度は33.5度から77.5度。効能としては、浴用がリウマチ、慢性皮膚炎、神経痛など。

飲用は慢性胃カタル、慢性胃酸減少症などです。

架空の地区「竹神集落」とあわら温泉で繰り広げられた悲恋物語

水上勉の代表作のひとつ『越前竹人形』の舞台は、竹の産地として架空に設定された竹神集落。物語の題材となった竹細工は、福井県を代表する美術工芸品のひとつです。

竹細工の職人だった氏家喜左衛門が急死したことから始まる、竹人形を巡る男女の悲恋を描いた作品が『越前竹人形』なのです。

喜左衛門の死後、あわら温泉街の遊郭で娼妓をしていた女性、玉枝が突然墓参りに訪れます。喜左衛門の息子である喜助は、玉枝に心を奪われ、玉枝を追ってあわら温泉へ。

喜助と玉枝の再会の舞台として描かれたあわら温泉は、華やかな賑わいを見せる温泉街として鮮やかに登場しています。現在、あわら温泉には『越前竹人形』の世界に触れることができるスポットが点在しています。

資料室大正ロマン館

『越前竹人形』に登場するあわら温泉の遊女、玉枝にちなみ、あわら温泉の旅館「越前あわら温泉 つるや」の一角には、水上勉や越前竹人形に関する資料が展示されています。

老舗旅館「べにや」

水上勉が執筆活動のために逗留したあわら温泉の旅館「べにや」。

多くの著名人が訪れる老舗宿で、自家源泉のかけ流しの湯や、美しい庭園に心が癒されます。『越前竹人形』のモデルになった宿とも言われています。

セントピアあわら

あわら温泉街にある公共浴場の「セントピアあわら」には、竹人形をモチーフにしたオブジェや、小説に関連する資料などが展示されています。

越前竹細工にまつわるエピソード

『越前竹人形』の作品の中で、喜助が玉枝を訪ねたとき、彼女は病床に伏せていました。

その傍らには、喜左衛門が贈ったという遊女の竹人形が飾られていたのです。この作品に登場する竹人形は、現在でも福井県を代表する美術工芸品として知られています。

しかし、実は水上勉が作品を執筆した当時は、福井の竹細工と言えばザルや花かご、食器類などがほとんどで、竹人形作りというのは、水上勉が作品世界に合わせて創り出したものでした。

その後、小説が人気を博す中で、越前では竹人形作りへの関心が高まり、竹細工職人が人形制作を手掛けるようになったという説もあります。

越前竹人形の里

水上勉作品がきっかけとなり、福井の伝統工芸として定着した竹人形。

福井県坂井市にある「越前竹人形の里」には、ショップや展示、制作現場を見ることができる工房などがあり、伝統工芸の高度な技や美しい作品を体感できるスポットです。