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文化人がこよなく愛した名湯 湯村温泉×太宰治

山梨県甲府市は、悩める文豪・太宰治が結婚後に新居を設け、新婚時代を過ごした場所であり、多くのゆかりの地があります。また、甲府市にある湯村温泉郷には、東京に転居したあともしばしば訪れ、小説『美少女』の中でも湯村温泉郷の様子をつづっています。

太宰治が愛した湯村温泉郷

湯村温泉郷

「湯村のその大衆浴場の前庭にはかなり大きい石榴の木があり、かっと赤い花が満開であった」、「浴場はつい最近新築されたものらしくよごれがなく、純白のタイルが張られて明るく日光が充満していて清楚な感じである」。これらは太宰治が小説『美少女』の中で描いた、当時の湯村温泉郷の様子です。

太宰治が初めて湯村温泉郷を訪れたのは、1939年(昭和14年)ごろと言われています。元々、師匠であり、湯村を愛していた井伏鱒二(いぶせますじ)のすすめで湯村温泉郷を知った太宰治は、結婚の翌年に甲府に新居を構えて山梨県で暮らしている間に数回、湯村温泉郷を訪問。その後、東京に住居を移したあとも、たびたび湯村を訪れたようです。

厄除け湯めぐり手形

湯村温泉郷の始まりは808年(大同3年)。弘法大師が東北巡行の帰路、信州から甲州に入った際に、道を遮る大きな石をどかそうと杖を寄せて呪文を唱えたところ、温泉が湧き出したという言い伝えが残されています。そこから「杖の湯」とも呼ばれ、庶民に親しまれてきました。また、武田信玄公のかくし湯の筆頭としても知られ、葛飾北斎の「勝景奇覧(しょうけいきらん) 甲州湯村」にも描かれています。

現在でも毎分1トンもの温泉が湧き出しており、その湯量の豊富さから古来、多くの人に愛されてきました。

太宰治が執筆のために逗留した湯宿「明治」でのエピソード

太宰治が湯村温泉郷を訪れていた当時は、いくつかの源泉をはさんで、10軒程の旅館があったと伝えられています。そして、太宰治が執筆のために逗留し、小説『美少女』の中に描いた旅館が「明治」です。

明治

太宰治は、執筆のために1942年(昭和17)年2月中旬から下旬と、翌年の1943年(昭和18年)3月中旬の2回、「明治」に滞在。この旅館に滞在している間に太宰治は、小説『正義と微笑』、『右大臣実朝』の2編を執筆したと言われています。

太宰治

2階の客室、向かって左主屋の最も眺望の良い、一番と二番の2つの部屋が、太宰治のお気に入りだったとのことです。

旅館「明治」のホームページによると、「明るい二番の室で執筆し、床の間のある一番の室で寝起きしていました。太宰は朝寝坊だったらしいのですが、朝起きると必ず袴を着けて室にいたといいますから、通説どおりかなりハイカラだったわけです」と紹介されています。この部屋は、現在の「双葉」の間にあたるそうです。

また「当館の者は、最初は小説家とは知らず、かなりあとになって分かったといいます」というエピソードも紹介されています。

太宰治と新妻・美智子が過ごした甲府の地を散策

太宰治は、人生の大きな節目とも言うべき結婚を機に、甲府市朝日町に新居を設けました。

妻の美智子と過ごした、太宰治のゆかりの地を巡りましょう。

太宰治新居跡

太宰治が新居として、1939年(昭和14年)1月16日から8月まで住んでいた場所には、現在石碑が建てられています。

喜久の湯

1934年(昭和9年)創業、新婚時代に太宰治が通った温泉です。

石原家実家跡

太宰治の妻となった石原美智子の実家跡。同時は「水門町」と呼ばれていました。

寿館跡(じゅかんあと)

井伏鱒二の紹介により、見合いをして出会った太宰治と美智子。出会いから結婚するまでの間、美智子の実家である石原家と親交を深めるために、太宰治が移り住んだと言われる下宿先の跡地。

御崎神社

太宰治の新居跡のすぐ傍にある神社。武田氏の守護神を信虎が甲府へ遷座し、その後徳川時代に現在の地へ移されたそうです。きっと、新婚時代の太宰治も境内を散歩していたことでしょう。

清運寺

甲府市朝日町にある日蓮宗のお寺。太宰治の下宿先だった寿館は当時、この寺の参道に面していたとも言われています。太宰治も歩いたであろう敷石が、現在も藤棚の下に残されています。

湯村温泉郷ゆかりの人物資料室

湯村温泉郷ゆかりの人物資料室

湯村温泉郷を愛した名立たる文豪たちの歴史を、様々な角度から紹介。太宰治の展示もあり、新しい観光スポットとして人気です。