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文化人がこよなく愛した名湯 塩原温泉郷×尾崎紅葉

明治時代の文豪、尾崎紅葉。硯友社(けんゆうしゃ)を結成し、『我楽多文庫』(がらくたぶんこ)を創刊。
『二人比丘尼色懺悔』(ににんびくにいろざんげ)により、文壇での地位を確立しました。代表作である『金色夜叉』の舞台となった旅館が、今なお塩原温泉郷に残され、その部屋を見学することができます。

多くの文人が愛した塩原温泉郷

不動の湯

平安時代の806年(大同元年)に発見された塩原温泉。栃木県北部の広大な那須野が原から程近い山あいに流れる箒川(ほうきがわ)の渓谷に沿って、11の温泉地が連なります。大網(おおあみ)、福渡(ふくわた)、塩釜(しおがま)、塩の湯(しおのゆ)、畑下(はたおり)、門前(もんぜん)、古町(ふるまち)、中塩原(なかしおばら)、上塩原(かみしおばら)、新湯(あらゆ)、元湯(もとゆ)という湯元からなり、「塩原温泉11湯」と呼ばれるこの温泉郷には、源泉が約150ヵ所もあり、泉質がそれぞれに異なるため、多彩な泉質を満喫できる個性豊かな温泉地です。

塩原温泉郷は、太平洋側と日本海側、関東地方と東北地方の気候の交差点になっており、多様な植物や生物が生息している地域でもあります。北には日留賀岳(ひるがたけ)、南には釈迦ヶ岳(しゃかがたけ)がそびえ、山々から流れ出る清流が箒川に注いでいます。これらの豊かな森林、水の恵みに育まれた塩原温泉郷は、泉質の良さも去ることながら、今なお受け継がれている美しい自然の景観が、多くの文人たちに愛されてきました。

尾崎紅葉が描いた塩原温泉郷

尾崎紅葉

特に明治時代から大正時代にかけて、多くの文人が塩原温泉郷を訪れ、後世に名を残す名作の数々が、この地で生み出されました。その歴史を伝える文学碑が、温泉郷の町のいたる所に建てられています。

中でも塩原温泉の名を全国に知らしめたのが、尾崎紅葉の『金色夜叉』です。1897年(明治30年)から1902年(明治35年)にかけて断続的に連載され、単行本は前編、中編、後編、続編、続々編が刊行されました。

尾崎紅葉の死によって、未完の大作としても話題になったこの小説は、富豪の富山唯継(とみやまただつぐ)に見初められた鴫沢宮(しぎさわ みや)が、いいなずけである一高生の間貫一を捨てて、富山と結婚するという物語で、人間の愛情、友情、社会主義の優位性などを訴えている作品とも評されています。

この小説の中では、熱海温泉と共に、塩原温泉郷の大自然が洗練された文章でつづられ、塩原温泉郷の風光明媚さが広く知られるきっかけとなりました。

『金色夜叉』の舞台となった「清琴楼」

尾崎紅葉は作中で、主人公の貫一が癒しを求めて訪れる地として、塩原温泉郷を選んでいます。そこで描かれているのは、塩原温泉にある「清琴楼」(せいきんろう)という湯宿に滞在した貫一が、滞在中に心中を図ろうとする若い男女を助け、我を取り戻していく様子です。舞台となった「清琴楼」のモデルとなった旅館は当時「佐野屋」という宿名でしたが、小説のモデルになった縁から「清琴楼」と屋号を替え、現在も営業しています。

「清琴楼」は明治時代から続く温泉旅館で、木造3階建ての別館、鉄筋2階建ての新館に宿泊できます。

また、貫一が泊まった部屋として、小説の舞台にもなった木造3階建ての本館は、現在見学のみとなっており、貫一が泊まった部屋のモデルとなった客室は「紅葉の間」として公開されています(要問合せ)。

塩原温泉郷を散策し、尾崎紅葉の足跡を辿る

塩原温泉郷の町には、尾崎紅葉にゆかりのあるスポットが多数点在しています。四季折々の表情を見せる美しき温泉地を散策しながら、文豪の息づかいを感じてみるのも良いでしょう。

蟇石(がまいし)園地

ガマ石園地-回顧の吊橋

箒川にかかる回顧の吊橋の駐車場一帯。ここから尾崎紅葉の記念碑を眺めながら渓谷沿いに続く遊歩道を歩くという、散策コースが人気です。

塩原もの語り館

もの語り館展示室

塩原温泉観光協会の情報コーナーをはじめ、売店や足湯があります。また、明治時代から大正時代にかけて、塩原を訪れた文人たちの足跡や、現地でのふれあいの様子を伝える資料展示室もあります。

「清琴楼」前

『金色夜叉』の舞台となった旅館「清琴楼」の前には、紅葉の胸像があります。