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明治時代、変貌を遂げた温泉地



明治時代に入ると、新政府が強力に推進する富国強兵、殖産興業策のもとに資本主義経済が発展。これに伴い、湯治場から保養の場へと温泉地も発展していきました。

湯治場から保養地へ

湯治場から保養地へ

明治維新後、欧米諸国から外交官や貿易商、宣教師のほか、日本の近代化を促進するために政府が招いたお雇い外国人たちが多数来日するようになりました。

しかし、欧米から来日した彼らにとって蒸し暑い日本の夏は耐えがたかったのでしょう。避暑や遊覧のために箱根や日光・草津に遠出するようになりました。箱根や日光は江戸時代から東海道・日光街道がそれぞれ通じた観光地であり、交通・宿泊の便がよかったからです。これに伴い箱根温泉や草津温泉は、上流階級の保養温泉地へと性格を変えていくようになりました。

また、交通や温泉掘削技術の発達などにより、熱海温泉(静岡県)や別府温泉(大分県)などは、政府高官や財界人の別荘地として大きく発展しました。

大別荘地となった熱海(静岡県)

大別荘地となった熱海(静岡県)

明治時代に入ると、東京から近いこともあって、数多くの政府高官や文化人が保養と避寒をかねて、熱海に訪れるようになります。

伊藤博文、井上馨、大隈重信など名だたる政治家が度々熱海に集まり、閣僚会議を開催。熱海は政治の舞台となりました。西南戦争に派遣され、凱旋した政府高官たちが熱海で豪遊し、十円札を座敷にまき散らしたなどというエピソードも残されています。

交通の発達につれて、華族をはじめ、大久保利通、伊藤博文、大隈重信などの政界の重鎮、三菱・住友・三井といった財閥、豪商などの別荘地として開発が進み、一大別荘地となりました。

また、わが国初となる本格的な温泉療養センター「気吸館」を、現在の大湯間歇泉の隣に建設。ヨーロッパの温泉場を模範としてつくられ、ドイツの気圧吸入器が設置されるなど、当時としては最新式の医療施設でした。

温泉観光地へと発展した別府温泉

温泉観光地へと発展した別府温泉

別府温泉(大分県)では、泉源数、温泉施設、温泉宿とも飛躍的に増加。さらに別荘地や観光施設の開発などにより、湯治場から温泉保養地そして温泉観光地へと発展しました。この要因としては、別府港が完成し大阪への航路が結ばれたこと、電車の開通、上総掘りの掘削技術の導入などが挙げられます。

それまでは、温泉地の中心にある共同浴場を利用する外湯形態がふつうだったのですが、旅館・ホテルの内湯形態への移行が進んだのもこの時代です。