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江戸時代の温泉ブーム



天下泰平の時代となった江戸時代には、大名や武士といった支配階級はもちろん農民・職人・商人といった庶民に至るまで、温泉に入浴して病気を治す湯治を兼ねた温泉旅行が全国的に大ブームとなりました。『旅行用心集』という旅のガイドブックにも全国の温泉地一覧が掲載されるなど、各地の温泉地が発展しました。

爆発的に流行した温泉旅行

爆発的に流行した温泉旅行

江戸時代には、士農工商という身分制度が確立し、人々は徳川幕府の厳しい管理下に置かれました。そのため、武士といえども藩主の許可なしに私的な旅などできず、特に農民は自分の生まれた土地から一生出ることはできませんでした。

そのような中、病気やケガ治療のための温泉への湯治旅は、お伊勢参りなどの寺社詣でと同じく許されていました。また、湯治旅や寺社詣を口実にいったん旅に出てしまうと、その途中で、温泉宿に泊まって名物料理を楽しんだり、京都・大阪見物をしたり、名所旧跡めぐりをしたりして、観光旅行のような自由な旅を楽しむことができたのです。

参勤交代により五街道や宿場が整備されたこともあって、湯治を兼ねた温泉旅行は人々の間に爆発的に流行するようになりました。

農民たちの湯治

農民たちの湯治

江戸時代、人々の中で最も温泉湯治の恩恵を受けていたのは農民と言えます。長期休暇をとることが困難だった商人や職人に比べて、百姓や漁民には農閑期があるからです。

百姓たちは、田植えの後の「泥落とし」、刈り入れの後の「骨休め」、冬の農閑期に「命の洗濯」と称して、長期にわたって滞在する湯治に出かけました。百姓と同じように漁民も、漁に出る前の「気保養」、漁から戻った後の「骨休め」などと称して、温泉でからだを癒す湯治の習慣が定着していきました。

温泉のガイドブック

温泉のガイドブック

江戸時代後期には、各地の温泉地は客寄せのために、温泉の効能をさかんに宣伝するようになり、案内書や温泉絵図も多く刊行されるようになりました。

また、全国の温泉地を、その効能に基づき大相撲の番付に見立てて東西に分けて格付けした「諸国温泉番付(諸国温泉効能鑑)」が発表され、旅のガイドブックである『旅行用心集』には292ヵ所もの温泉地を紹介した温泉案内が掲載されました。

箱根温泉の『七湯の枝(し)折(おり)』

箱根温泉の『七湯の枝(し)折(おり)』

江戸時代に湯治場として栄えた箱根温泉では、湯治は7日をひと回りとして3回り、つまり3週間を原則としていました。しかし、『七湯の枝折』という箱根温泉の案内本が発行されて以降、ひと回りですます一夜湯治が主流になりました。

「諸国温泉番付」

「諸国温泉番付」

現存のものでは、文化14(1817)年改訂の「諸国温泉番付」が最も古いとされています。

数回発表されていますが、大関は東の草津温泉(群馬県)と西の有馬温泉(兵庫県)、関脇は東の那須湯元温泉(栃木県)と西の城崎温泉(兵庫県)がほぼ不動の地位を得ています。

この温泉番付には効能に基づく番付と温泉名しか載っていないことから、当時の人々は温泉の効能に最も関心をもっていたことが伺えます。