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古代の温泉



温泉に関する記述は、『古事記』や『日本書紀』のほか、各地の地誌をまとめた『風土記』、日本最古の歌集である『万葉集』で歴史上初めて登場してきます。これらは、いずれも奈良時代に編纂されたものです。

『古事記』や『日本書紀』には、伊予の湯(道後温泉)、有馬の湯(有馬温泉)、牟婁(むろ)の湯(白浜温泉)についての話が記されており、そのことから、これら3つの温泉は「日本三古湯」と呼ばれています。

伊予の湯(道後温泉)

伊予の湯(道後温泉)

最も古い「伊予の湯」に関する記述は『伊予国風土記』に見られます。

出雲の国の大国主命(オオアナムチノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)が伊予の国を旅したとき、重病になった少彦名命を湯あみさせると、不思議と蘇り、立ち上がった少彦名命が踏んだ石に足跡が残ったという記述があります。この湯あみの湯は、大分の速見の温泉(現在の別府温泉)から海底を通して引いてきたという神話も記されています。

また、596年に「伊予の湯」を訪れた聖徳太子が、霊妙な温泉に深い感動をおぼえ、碑文一首をつくり、石碑が建てられたとされています。石碑は現存していませんが、碑文の内容が「聖徳太子伊予湯岡の碑文」として「椿の湯」の前庭に残されています。

『古事記』には、権力抗争に敗れた皇太子の木梨之軽太子が、近親相姦の罪で流される「伊余湯」として登場しています。さらに『日本書紀』には、舒明天皇や天智天皇、天武天皇ら飛鳥時代の歴代の天皇が行幸・入湯したとも書かれています。

日本史の教科書に登場する古代の有名人が、続々と「伊予の湯」を訪れていたことが分かりますね。

有馬の湯(有馬温泉)

有馬の湯(有馬温泉)

「有馬の湯」は、『日本書紀』に舒明天皇が飛鳥時代の631年に86日間の湯治を行なった温泉として登場します。これは天皇の温泉行幸として初めてのことであり、初の湯治記録ともいえます。

鎌倉時代に書かれた『日本書紀』の注釈書には、孝徳天皇も訪れ82日間滞在されたとの記述があり、両天皇の行幸がきっかけとなって「有馬」の名は世間に名を知られるようになったとされています。

牟婁の湯(白浜温泉)

牟婁の湯(白浜温泉)

「牟婁の湯」は、『日本書紀』や『万葉集』で度々登場しています。

『日本書紀』には、飛鳥時代、斉明天皇や持統天皇、文武天皇、中大兄皇子(後の天智天皇)といった天皇・皇族が行幸・入湯したと記されています。

また、大化の改新後間もなく、孝徳天皇の皇子(有間皇子)が斉明天皇と中大兄皇子に「牟婁の湯」への行幸を勧め、その留守中に謀反を企てたという冤罪で捕らえられ、自殺に追い込まれたという悲劇が載せられています。

『万葉集』では「紀の湯」の名で紹介。女流歌人・額田王がここを訪れて和歌を詠んでいます。